攝津正 in はてなブログ

船橋市民の攝津正のブログです。

悪への招待

 今日は一日なので、御瀧不動尊に老母と二人で御詣りに行った。iPhoneは置いて、オーネット・コールマンの『オン・テナー』、クラーク・テリーの『セレナーデ・トゥ・バス・ストップ』を流しながら、カシオのEXILIM EX-Z1を片手に気儘に写真や動画を撮りながら歩く。習慣になっている散歩だが、いつも愉しい。決まり切った眺め、数十年住んで慣れ親しんだ街なのだが。職場に寄って、配布商品の入荷が今夕だということを確認し、リハビリの予約の時間があるから、出勤・作業はそこは外させていただく旨の手書きメモを残して帰宅した。骨折した右手首は、かなり恢復してきてはいる。ただ、御詣りのときなどに両手を拝み合わせる動作がまだまだ痛い。関節が硬くなってしまっている。鉛筆やボールペンでの手書きも、日が経つほどにどうにか字は書けるようにはなってきているが、まだまだ握力が足りないし、また、細かい統禦が働かない。

 帰宅してからは、カシオのデジカメ、特にそのUSB / AVケーブルとの格闘である。なかなかWindows 7のノートパソコンに認識されない。PDFの取扱説明書と首っ引きで数十回トライして、何が良かったのかわからないが、ようやくデバイスが認識され、画像を取り込む。ひょっとしてケーブルが悪いのではないか、と疑い、カシオのオンライン販売をチェックし、この機種に適合するケーブルを選択して購入。Apple musicでクララ・ハスキルを聴きながら午睡した後、分厚い文庫本を一冊読んで(後述)、すぐそこの京葉銀行で振り込む。ウエルシア薬局とTSUTAYAに寄って帰宅。今度はラジカセでNHK FMでクラシック・カフェ、そしてルーシー・ケント案内の洋楽を流す。このところまたラジオに嵌っている。というか、何でもかんでもiPhoneというのが自分でいやになったのだ。

 西村京太郎の『悪への招待』は1969年に『悪の座標』の題名で地方新聞に連載され、71年8月講談社より刊行された長篇である。ぼくが持っているのは昭和58年3月15日第1刷発行とある講談社文庫である。北上次郎の解説を読むと、これは西村の初期の長篇であり、「十津川警部もの」などで流行作家になる前の、社会派傾向が強かった時期の代表作ということになるのだろうか。ぼくは西村京太郎の良い読者ではない、というか、「十津川警部もの」の膨大な作品群を含めて全部読んでいるわけではもちろんなく、この文庫本も戯れに読んでみただけだが、なかなかに面白かった。

 物語は定職もなく、絵もモノにならず、グラフィック・デザイナーでも喰っていけるようにならなかった、日々遊び暮らしている28歳の男・沢木の、家具工場を経営していた父親の自殺から始まる。そこに差出人も書かれていない、あなたのおとうさんは自殺ではない、殺されたのです、という短い手紙が舞い込み、500万円提供するから犯人を捜せという謎の女が現れる。 ── そうして沢木の冒険が始まるのだが、これ以上は「ネタバレ」になるし、さして驚くような仕掛けがあるというわけでもないので省略する。思うに雰囲気がすべてである。作品の存在感は、沢木およびその協力者の探偵・田中に掛かっている。このうらぶれた、ぱっとしない男たちによる探索の冒険。苦い幻滅が続いたのちの、黒幕との痛み分け。ただそれだけのことなのだが、なんとなしに今日の、というか最近の気分に非常にマッチした。

一番古い記憶

楳図かずお第一回監督作品『マザー』は期待外れだった。一緒に観た両親も、最近は誰でも彼でも名前が売れれば映画を撮りたがる、お笑いの誰や彼やとか、今度たまたま小説を書いた変り種もいたみたいだが、と不満を漏らしていた。AmazonのレビューではB級のカルトムービーとかなんとかだったが、楳図かずお原作で別の監督さんが撮った『神の左手悪魔の右手』『おろち』のほうがずっと良かった。それは餅は餅屋ということなのか。それはわからないが、ともかくとして……。

──中間小説側からの純文芸的なものへの悪意として、『異型の白昼』のほかに梶山季之の『美男奴隷』を挙げたが、私は三〇年前に讀んでいる。讀めば偉いというものでもないが、とにかくそうである。あらすじを略述すれば、田舎の国語教師と不倫して妊娠した主人公・千絵は堕胎のカネを渡されて単身東京に出るが、ふと思い立ってそのまま故郷にはかえらず、みずからの美貌と身体(=性)を武器にして当地の資産家や名望家の邸宅にお手伝いさんとして入り込み、男たちを篭絡したり騙したりして成り上がっていく。彼女は戦後世界、恐らく六〇~七〇年代の社会風俗的なモンスターというか伝説の存在になっていく。まだ二十歳そこそこの小娘でありながら、名士らの集う社交場やなにやらに美少年たちを従えて傲然と顔を出し、トラブルに際してはそのへんのOLやなにやらの数か月分の給料を迷惑料として置いていく。彼女の謎をスクープしてやろうとして乗り込んだ記者も罠に嵌められて「奴隷」にされていく……。

そういうサクセスストーリーというか悪のサクセスストーリー。ピカレスク・ロマンってヤツですか。ピカレスクってのは「悪漢」と訳されるが、この主人公のような女性も含まれるのかどうかは知らない。さて、この小説がどうして純文芸的なものへの悪意なのかといえば、その最後のページですよ。つまり、冒頭彼女に上京のきっかけを与えた田舎の高校の国語教師は、性懲りもなく別の女生徒に手を出して二人で情死している。その惨めな姿と千絵の成り上がりが残酷に対比されるという幕切れなのです。最後の一行で作者自身の「声」が登場して、千絵のような生き方をどうおもうか、賞賛するか非難するかは皆さん一人一人の自由、とまあありきたりの定型的な文句を述べる。それはそうだが、そういう作品がなにを嘲弄しているのかというのはあまりにも自明だ。

5年以上前の『社会評論』の山口直孝との対談で鎌田が、攝津は哲学が好きだから文学は苦手だとエクスキューズを云々と喋っていたが、実のところはそうではない。私は大抵のことは個々人の主観で自由であるというニヒリズム、価値相対主義の持ち主である。それ以上突っ込んだやかましいギロンはいまは避けるが、数学であるとか、自然科学の法則であるとか、ただ単なる客観的な事実の確認を除けば、あらゆることは個々人の恣意であるとみなしているのである。それはサブカルを含めた文芸文学の好みも同じことで、すべてをただ単なる個人の恣意だから等価と申し上げてよいのかどうかはわからないが、なにはともあれ、そういう領域でなにか「研究」したり、自分一個の感動または嫌悪、無関心にとどまらぬなにかを発言発信しえるとおもわなかったから、文学研究に向かわなかったのである。もしそのあたりで暴勇をふるっていたならば、そもそも学部の時点でバロウズか吉本を「研究」していただろうが、そうしなくて結果的に良かったと思っている。しかしそれにしても私も中途半端で、十代の昔から理数系のセンスや理解力はゼロだったし、政治や社会運動、社会科学・社会学の浅薄にも無関心だったから、または軽蔑していたから、哲学史の勉強に向かったのである。それも僅か数年で、六年ほどで放擲したが、これまた百パーセント正しい選択であり判断であったといえよう。以後はほとんど激動の嵐、修羅の歩みであった。

──私はそのようにおもっており、文学文芸の方面でなにか普遍妥当的な客観的な認識や判断はありえないとおもっているが、それでも3.11以降のこの大混乱とファルス、悲喜劇にさいしてたとえば森鴎外の『妄想』は興味深い。周知のように鷗外は医者・医学者でありまた権力側の人間であり、自然主義的な叛逆とも漱石の文明批評ともやや異なるポジションにいた。この短篇の最後でカトリックの坊主が科学は終わったという宣言を発して随分になるが依然終わる気配はない、という皮肉が述べられている。今日ではマルクス主義の赤い司祭やエコロジーの緑のクソ坊主どもが類似の死亡宣告を発しているが、そんなお笑い種が現実をなにも変えないのも明治の昔と完全完璧に同一である。しかしそれでは、鷗外そのひとやその主人公は科学主義・近代主義なのか。

そんなものであるはずがないだろう。彼はそもそもの幕末の武士としてのおのれにアイデンティティを持っている。彼が直面した西欧とは、一方でキリスト教、他方で近代科学であった。あるひとつの珍妙な信念と、別方面の珍妙な信念が癒合するとどうなるのか。一方で「自己」というかその実体であるところの魂の実在を信仰したく、他方で「科学」的にどうもそれがありえそうもないということになると将来の虚無に怯えざるをえない。

鷗外というこのサムライにはそのような無意味な苦悩は無縁だった。『妄想』の主人公の「苦悩」とは、自分にはそのような西欧近代人のような自己撞着の苦悩がまったく「ない」という自省と自覚なのである。そうすると、ヨーロッパの教養ある人士たちからはひょっとして猿にも等しい未開な存在と遇されるのかもしれない。

それでもよい、というのが漱石とはやや異なる鷗外なりの「自己本位」なのだ。

梅津和時、フランク・ザッパなど

自分が持っている梅津和時のCD全部聴き、今フランク・ザッパ聴いているが、自分にはロック的感性が皆無と思う。マイルスとか梅津さんとかジャズメンがロック風のをやるのはいいんだけど、ロックそのものは聴く気にならない。ビートルズローリング・ストーンズも。他のあれこれも。ガキの頃から今まで、いやな音楽、うるさい音楽としか思ってこなかった。だけれども現代の音楽愛好家としてはそれはまずいのではないかともちょっと思うが、しかし、致し方がない。